院長プロフィール

名前
下川孝幸
ニックネーム
シモーン
出身地
千葉県鎌ケ谷市
趣味
美味しいものの食べあるき
好きなスポーツ
サーフィン
下川孝幸写真

各種資格認定証

※クリックすると拡大します。

整体師への道のり

はじめに

はじめまして。仙人堂の下川です。

うつ病等で悩まれている方のために、同じくうつ病や対人恐怖症、過敏性腸症候群等に長年悩んできた者として、助言ができれば、と思い、私の体験談を書かせていただきます。

子どもの頃の私に母が幾度となく口にした言葉があります。

「人の気持ちを考えなさい」

「人に嫌な思いをさせるなら、自分が嫌な思いをしなさい」

このような注意をされるほど、活発で“子どもらしい”子どもであったか、といえばおそらく違います。

私は人の気持ちを敏感に感じ取ってしまうような子どもでした。

けれど、子どもにとって母親の言葉の持つ力は大きく、私はますます人の気持ちを気にするようになりました。

そのせいかおなかが弱くちょっとしたことで下痢になることが多かったです。

はっきりとした診断を受けたわけではありませんが、今考えると過敏性腸症候群というストレス性の病気を抱えていたのでしょう。

4才の頃には、相手のちょっとした表情で感情を読み取れるようになっていました。

相手から感情が直接伝わってくるようで、とても苦労したこともあります。

その結果、いつも他人の機嫌を伺い自分の感情を押し殺してしまうようになりました。

きっと周囲からは随分冷めた子どもだと思われていたことでしょう。

心理学を20年以上学んだおかげで気づけたこと

心理学を20年以上学ぶことで、どうして私が感情を読み取るのが得意なのかを理解することができました。

同じように悩んでいる人のために、その原因の一部をご紹介します。

人間には、それぞれ思考のパターンがあります。

それは、問題があったとき原因を考えるパターンと目的を考えるパターンです。

例えば、人前で話すことができなくなったAさんがいるとします。

あなたはAさんが話せなくなったのはなぜだと思いますか?

この答えとして、次の2とおりがありえます。

原因思考:Aさんは、人前で話している時に笑われて話すのが恐くなった。

目的思考:Aさんは、人前で話していて恥をかきたくないから話さなくなった。

話せなくなった原因を過去の体験にあると考える人と、本人の現在の目的にあると考える人がいます。

このうち、私は目的でばかり考えてしまうタイプでした。

そして、「人のせいにするな」と言われていたので、すべて自分が悪いと考えていました。その反面、この問題を乗り越えれば、今以上に自分は成長できると考えていました。

これは、超ポジティブな母の影響を受けていたのだと思います。

他にも、母の影響を受けた点は多くあります。

性格は、5才までに形成されるので、親の影響は非常に大きいです。

本来であれば、その子どもの個性にあった育て方が必要です。

しかし、親もまた子どもが生まれて初めて親になります。

いくつもの育て方をあらかじめ知っているわけではありませんし、誰もそんなことを教えてくれません。

私の母は、残念ながら、当時の私の個性にあった育て方をしてくれなかったのかもしれません。

私が母を嫌いなのかと誤解をされる方がいるかもしれませんが、今となっては感謝の気持ちしかありません。

このような話は私に限ったことではありません。

うつ病で、私のもとに来院する方の実に75%は親子関係に問題があります。

来院された当時は気づいていなくても、根本的に問題を解決しようとすると、最終的に幼少期のトラウマに直面します。

深いトラウマがある人・頑固な人・ストレスが多すぎる人・自分のことしか考えていない人ほど、この問題に到達するのに時間がかかります。

いつも幽体離脱をしたような状態で、自分と他人を客観視するおかしな子でした。

加えて、視覚で認識するよりも聴覚で認識することが得意で、見たものをすぐに記憶できる短期記憶が苦手なので、学校の教育方法は自分に合いませんでした。

おかげで成績はいつも悪く劣等感を感じていました。

小学校に入学してからも勉強する目的ばかりを考えてしまい、こんなことが何の役に立つのかといつも考えていました。

結局、私にはその目的を見出すことができませんでしたので、勉強にも身が入らず、こんな私を理解してくれる先生は現れませんでした。

勉強ができなくて、何が悪い?

当院には不登校のお子さんがいらっしゃいます。

その子たちのほとんどが、勉強ができずに、自信を失っています。

しかし、その子たちに人によって記憶のタイプが違うのだということを教えてあげると、それ以降徐々に自信を取り戻していきます。

勉強ができないのは、記憶のパターンがそれぞれ違うのに、生徒に合わせた教育方法ができない先生に問題があります。

このことを理解できている先生はおそらくほとんどいませんが、私は自身の経験と心理学を学んだことからこのことを知っています。

学校の教育は、その教育方法と記憶のタイプが一致する子たちには適しているのですが、それ以外子どもたちには効果的とは言えません。

私のようなタイプの子たちに合わせた教育方法は、現在のシステムでは難しいのかもしれません。

私は、私のタイプに適した勉強方法を教えてくれる先生に出会うことができませんでした。

このような子たちの多くが劣等感を抱いているでしょうが、別の特技があるのでその特技を活かしていけばいいでしょう。

このページを読んで勉強が苦手だった方は、自信を失う必要はありません。

また、もし自分のお子様の成績があがらずに悩んでいらっしゃる方がいれば、「記憶のタイプが違うのかもしれない」とお考え下さい。

子どもの才能を見出し将来困らないような技術を身に付け、いい所を伸ばしてあげることが親の役目だと思っています。

いい学校に行かせるのがいいとは限りません。

苦手なことは、誰か得意な人にまかせればいいのです。

小6でうつ病を発症。

小学校5年生の頃、私はいじめに遭いました。

また、同時期、父が保証人となったことが原因で、自宅を競売にかけられました。

ひどく冷静だった私は、いじめは耐えていれば終わるだろうと思っていましたし、自宅がなくなることも怖くありませんでした。

むしろ今の生活よりも、ホームレスにでもなったほうがマシだとさえ思っていました。

しかし、父のおかげで最悪の状態まで陥ることはありませんでした。

父は絶対にあきらめず、必死にお金を工面し、自宅を買い戻したのです。

この姿を見て、絶対にあきらめないということを学びました。

私の心に熱い思いが芽生えた瞬間だったかもしれません。

中学校でいじめが悪化

中学校に入ると、さらにいじめが悪化しました。

カバンや上履き、リコーダーを隠されたり、机を廊下に出されたり、汚されたりいろんな嫌がらせを毎日受けました。

私をいじめていた中で特にひどかったのは、女性でした。

30人以上もの人間からいじめられ、世の中の人間は全員自分の敵ではないか、と錯覚しました。

ある時、体が動かなくなりました。

そんな生活を送っていたある日の朝、目が覚めると体が動きませんでした。

母が大きな声で、「早く学校に行きなさい」と呼ぶのですが、体がちっとも動かないのです。そのうえ、頭やおなかが痛く、めまいでグルグル回っていました。

「どうなってるんだ、自分の体は……」

心配して私の部屋に来た母に「もう学校に行きたくない」と伝えました。

しかし、いじめられていることを隠していたため、私がずる休みしたいと思っていると捉えられたのでしょう。

母からそのことを聞いた父がすごい剣幕で部屋に入ってきて、私を殴りました。

私が今までいじめられていたことを母に伝えると、父も理解してくれ、「もう学校には行かなくていい」と言ってくれ、殴ったことも後で謝ってくれました。

両親の理解はなんとか得られましたが、私の身体の異変は収まりません。

この頃から、人の目を見ることができなくなりました。

同時に人の視線が怖くなりました。

特に女性と話すことができなくなり、人を信用できなくなりました。

誰かが笑っていると自分が笑われているように感じ、自分が責められているように感じるのです。

「自分にはなんの価値もない」と自信を失いました。

中1で精神科を受診

母が嫌がる私を強引に精神科に連れて行きました。

診断はうつ病です。

今でこそ、うつ病という病気はメジャーになりましたが、当時の私は精神科というのは頭のおかしい人が行くところだと思っていたのでものすごく抵抗がありました。

薬を出され1度だけ飲みました。

2度目に病院に行った時、薬を飲んだから治ったとウソをつきその後は病院には行きませんでした。

薬を飲み続けると、薬漬けの廃人にされそうで怖かったからです。

「自分は頭のおかしい人なんかじゃない」

このときの私は、強くこう思っていました。

謎の占い師が自宅に訪問

部屋にいる時、母に呼ばれました。

今、占い師が来て無料でみてくれるから下に降りてこいと言われました。

「あやしい、なんで無料なんだ」

「あとで、高額なお金を請求されるんじゃないか?」

「変な壺を売りつけられるんじゃないか?」

不信感から最初は断ったのですが何度もしつこく呼ばれ、私はしぶしぶ従いました。

「今、占いの勉強中だから勉強のために、無料でみてくれてるんだって」

「孝幸のこと、話したらぜひみせてほしいって」

診てもらっている間、ずっと下を向いていました。

「あなたの手相はすばらしい」

「この真ん中に×印がついているでしょ」

「この手相の人は、大器晩成型の手相なんだよ」

「坂本龍馬と同じ手相をしているよ」

「絶対に大丈夫だから頑張って」

両手で私の手を強く握りしめ本当にお金をもらわずに帰っていきました。

声を出せなかったので、お辞儀をしました。

あとで、顔をちゃんとみておくべきだったとも後悔しました。

私に救いの一言をかけてくれた、大切な方だからです。

つらいことがあったときには、いつもこの占い師さんからの言葉を思い出しました。

「絶対に大丈夫」

いつしかこれが口癖になっていました。

坂本龍馬をモデリング

坂本龍馬と同じ手相をしていると言われてから、坂本龍馬に興味を持ちました。

お小遣いで、司馬遼太郎さんの『龍馬が行く』という本を買いました。

幼少期にいじめられている所など、自分と被る箇所があってすべて読み切りました。

つらい時は、龍馬だったらどうするかなと考えるようにしました。

あとで、これがモデリングだということを知りました。

みんなが学校に行っている時間を私も有効に活用しようと、龍馬が剣術を習ったように自分もボクシングを習いたいと思いました。

強くなれば、やられそうになってもやり返せるようになる、と思ったのです。

誰も助けてくれないなら、自分の身は自分で守るしかありません。

しかし、近所にボクシングジムがなく格闘技を習うことができなかったので、筋トレを頑張りました。

お小遣いを貯めて、腹筋のベンチやダンベルを買いました。

1対30じゃ勝てないので、いじめっ子の家を探しにいきました。

いざという時、一人ずつボコボコにしようと思ったからです。

一番ひどいイジメをした子の家を発見し、ボロボロの家に住んでいたのを見て、なにかこの子も大変だったのかな?と感じました。

心理学の勉強を始める

中学入学後、心理学の勉強をはじめました。

勉強といっても、お金がなかったので何度も同じ本を読みました。

あとは、自分なりに人間の心理を研究しました。

そして、ある時自分がこうなってしまったことには、自分にも原因があると考えるようになりました。

もし私が言い返すことができればここまでひどくはならなかったはずです。

いじめは、いじめる方にも問題があるが、いじめられる方にも問題があると思いました。

中学3年生になり、学校に行くことにしました。

今まで勉強をしていなかったので、授業を理解することはできません。

たった1年ガマンすれば、ここから抜け出せる、その思いでなんとか乗り切りました。

高校に行ったら新しい自分で再スタートしようと思い高校は都内の男子校を受験し、合格しました。

中学校のアルバムは、卒業式に捨てました。

ムキムキの高校時代

高校入学後には、自分を変え、うつ病を克服するため、心理学の本を読み漁りました。

私の場合、いじめの原因は人の顔色をうかがいすぎることにあると考えていましたので、もっと自分の意見を主張しようと思いました。

自己中心的でいい加減な人、それが当時の私の理想像です。

幸いその高校は、生徒の8割が授業中に寝ているような学校でしたので見本となる人がたくさんいました。

今思うと授業中寝ても怒られないし、いい加減になる環境にはバッチリの環境でした。

しかし、私の席のまわりはいじめっ子タイプの人間ばかりでした。

野球部の推薦で入学してきた人達なので、がたいのいい自分よりも背の高い人ばかりです。

「なんてついてないんだ……」

もっとも、体を鍛えていたので、足が震えながらも精神的に負けないよう努力しました。

「体を鍛えておいてよかった」

ひるむことなく接していたお陰でいじめられることはありませんでした。

部活は、体操部に入部しました。

体を鍛えられるし、4才~小3まで器械体操をやっていたからです。

部活の練習を終えると22時までマクドナルドでアルバイトをしました。

そして、家に帰ってから腕立て、腹筋、スクワット、ダンベルカールなどを120回×3セットやりました。

この頃ついたあだ名は、“ブルースリー”です。

かなりムキムキだったので、誰も僕をいじめようという人はいませんでした。

こうしたトレーニングのおかげで自分に自信をつけることができました。

また、高校3年生には、体操の大会であん馬6位入賞という成績を残すことができ、自信がもてました。

自信回復の秘訣は成功体験を積むこと

高校時代は、週3日部活で汗を流し、週4日マクドナルドで働きました。

最初の頃は、なかなか仕事を覚えられず苦労しました。

やはり覚えるのは苦手です。

しかし、最終的にはアルバイト内で1番仕事が早くなり、最年少でトレーナー(教育係)というポジションにつくことができました。

「お前は、覚えるのに時間がかかるけど覚えたことを応用する力は誰よりもスゴイ。」

と自分でも気づけなかったことを誉めてくださる方もいらっしゃいました。

完璧主義でまじめな性格が認められ、バイトに生きがいを感じるほど楽しくなりました。

苦手意識を抱いていた女性の中にも、自分を汚いものを見るような眼で見る人がいなかったので、少しずつ解消されていったのです。

視線恐怖症も、眉間を見て話すことで体を慣らしていき、最終的には目を見れるようになりました。

気が付いたら、相手の目を見すぎてしまうようになったという笑い話もあるくらいです。

18歳でアルバイトのマネージャーになり、マクドナルドのシステムや人を使うことを学べたのはとてもいい経験でした。

自分のことを誰も知らない土地に行き新スタート

アルバイトを辞め、静岡県の湖西市という所にある工場で働き始めました。

地元を離れて、自分のことをまったく知らない人たちの中で自分を試すいい機会だと考えました。

この頃、サーフィンにはまりだし、朝海にはいって4時間残業してから筋トレをする生活を送っていました。

体力があり、人の1.5倍仕事をしていたのでコツをつかむのは早かったです。

そうすると、他の方に比べて仕事が早く終わりすぎるので、上司に「まじめに働いちゃいかんよ。もっとゆっくりやれ」と注意されました。

このあたりから、手を抜くことを覚え100%の力を出していなくても自分は認められる事を学びました。

人生初のぎっくり腰を経験

いつものように、仕事前に海に向かいました。

この日は、とても波が大きく初心者の私は、びびりながらも海にはいりました。

波が来たのでいつもどおり乗ろうとした、その瞬間の出来事でした。

見事に波にまかれ、体が逆くの字に曲がり、洗濯機のようにグルグル巻かれ岸の近くにたきつけられたのです。

「よかった生きてて……」

そして立ち上がろうとしたけど立てませんでした。

四つんばいのまま、車に乗り座ることができたので、アパートに戻り痛みをガマンし会社に行きました。

気合で治そうとしましたが、さすがにどうにもならないと感じ、藁をもすがる思いで整体に行きました。

整体がどんなものかまったくわからず行ったのですが、たまたま行った所がとてもいいところで、1度の治療で歩けるようになりました。

その後も、数回通い痛みは完全になくなりました。

「整体ってスゴイ」

この時、自分が整体師になるなんて夢にも思っていませんでした。

理学療法士を目指す

その後、仕事を辞め実家に戻りました。

今後の生き方について迷いました。

「人に喜ばれる仕事がしたい」

そんな思いから、医療系の仕事に就きたいと思いました。

迷った末に私が選んだのが理学療法士の道です。

そのステップアップの1歩として、ヘルパーの学校に通い始めたのです。

ですが、金銭的に厳しく弟を大学に行かせるために諦めました。

いずれにしても、学力が足りなかったので受からなかったかもしれません。

その後、地元にはいたくなかったので、千葉の海の近くに引っ越し工場で派遣社員として働きはじめました。

3交代勤務だったので、毎日サーフィンができる最高の環境でした。

サーファーの友達も少しずつ増え、一緒に夢中になれるすばらしい仲間と出会いました。

当時、サーフィンをするために移住した人達だったので、波がよければ仕事を休み、いきなり仕事を辞め数か月間海外にサーフィンをしに行く自由奔放な人達ばかりでした。

このおかげで、まじめでいることがバカらしく感じるようになり、適当さを学び生きることが楽になりました。

仲間から学んだことも大きかったですが、海から学んだこともたくさんありました。

人間は、自然には勝てないちっぽけな存在であること。

自然の中で活かされていること。

サーフィンは、波を競り合い自分で奪わなければ波に乗れません。

遠慮をしているといつまでたっても波に乗れないのです。

このお陰で、遠慮しがちな性格が改善されました。 仕事を早く終わらせて少しでも早く海に行くにはどうしたらいいかという事を考えているうちに要領もよくなってきたのです。

サーフィンは、個人的にうつ病のひとにオススメしたいスポーツです。

「こんな考えもあるんだ」と気づかせてくれる人にたくさん出会えます。

最高の人生から転落

毎日好きなサーフィンをして、最高の毎日を送っていました。

そんなある日、通勤途中に九十九里ドライブインの前で、ガストにはいる右折待ちの車で渋滞していました。

海を見ると、今までにないくらい最高の波が割れています。

「やばい。仕事休みたい」

と本気で考えていると、ゴーンと隕石が追突したような音と共に、車は前に滑り出し前の車に追突しました。

後ろから波に見とれたサーファーの車が突っ込んできたのです。

そのまま車は滑り出し、前の車に追突。

パトカーが何台も来て、警察官に事情聴取をされていると、上半身が痺れだし、寒気に襲われ立っていられなくなりました。

すぐに救急車を呼び、救急車で病院に運ばれ痛み止めの注射を打たれ返されました。

そして、首が左右15度にしか動かなくなりました。

「なんで、自分だけこんな目にあうんだ」

エアコンに当たると、痛みが悪化し頭痛が激しくなります。

元々記憶力が悪いのに、事故にあってから、後遺症のせいか一段と悪化しました。

生活のために、痛みをガマンし介護の仕事に就職しました。

ところが、食事の介助をしているととくに痛みがひどくなり、エアコンに当たると寒気がひどく頭が働かず仕事が覚えられず苦労しました。

こんな状態なので、人間関係も苦労しました。

大好きなサーフィンもできません。

気が付けば、うつ状態になることも多くなりました。

整体師を目指す

首を治すために、いろんな病院、整骨院、整体院に行きました。

しかし、一向によくなりません。

ある日、友人のサーフショップに遊びに行くと看護師で整体師をやっている方に出会いました。

私が、ムチウチでサーフィンができないことを話すと首を診てくれました。

今まで行った整体の中で一番首が楽になったのです。

自分が看護師になりたかったことを話すと、「これからは、看護師じゃなくて整体の時代だよ。」私が、なりたかった看護師さんにこのようなことを言われ衝撃を受けました。

「私の師匠ならあなたの首を一発で治してくれるよ。」

整体に興味があったので、自分の治療も兼ねて月に2回静岡まで勉強に行くことになりました。

しかし、残念ながら、ここの先生でも私の首を治すことはできませんでした。

仕方がないので、自分で治すことを決意しました。

自分で調整し、少しずつ首が動くようになってきました。

その後、地道に自分で治療し2年間かけサーフィンができるようになるまで回復しました。痛みが回復してからうつ状態になることも減りました。

整体院を開業

自分の首を治した経験を活かし、同じように悩んでいる人の為の整体院を作りました。「整体師になるからにはどんな不調も治せる整体師になる」、これが私の目標・夢ですので、開業後も年間30~50回セミナーに参加し腕を磨きました。

そして、自律神経の勉強を始め、外房で1番最初に自律神経に特化した整体院を始めたのです。

どこに行ってもよくならない人の最後の砦となるような場所にしたい。

そんな思いで、整体院をやっています。

うつ病で苦しんでいる方ならお分かりのように、うつ病のような精神的疾患を克服することは決して楽なことではありません。

その原因が患者さん自身にあることも多く、その場合、患者さん自身が変わらなければ本当の意味で克服したとはいえないのです。

「治してくれ」ではなく「治したい」と考えている方に足を伸ばしていただきたい、と考えています。

よくなるために、絶対にあきらめないで来れる方以外はご来院をお控えください。

うつ病は、現在のあなたに、今の思考が合わないということを教えてくれています。

私はうつ病は、究極の自己成長のチャンスだと思っています。

そして、過去と向き合う覚悟も必要です。

氷を溶かすように、問題をひとつずつ解決し、成功体験を積みながら改善していきましょう。

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